宗教と先生の話(随想)

 

今この一瞬の積み重ねが明日になり、未来になる。

今この一瞬も過ぎ去ってしまえば、たちまち過去になる。

過去は変えられない。

未来は作れるが、それは今の行動が未来をつくるのだ。

やはり、つまり、今に集中し、今、何ができるかにフォーカスできる者こそが成功者となるのであろう。

今、やらねばならぬこと、先延ばしにしない。

1秒先のことは誰にもわからない。

ましてや、明日のことなど神様も分からない。明日やろう、は、あてにはならないのである。

死んでからのことは宗教に任せろといった哲学者がいたと記憶しているが、らしい言い回しだ(笑)

私は、自己啓発に取り組んでいくと、その究極の先に宗教があると思っている。

言葉で説明するのは難しいのだが、結局のところ、何ごとも気持ちの持ちようなのではないかと思ったとき、それを救える(?)のは宗教くらいしか思いつかないのである。

もうひとつあげるとすれば、政治かな。

なにかあまり関連性のないふたつのように思えるかもしれないが、私自身のなかでは政治と宗教はすごく似通っている。

経営の神様、松下幸之助先生だって松下政経塾で政治家をたくさん輩出したし、平成の経営の神様、稲盛和夫先生だって、出家して僧侶になった。

やっぱりこれらには、極めた人が感じる、行き着く、共通した何かがあるはずだと思う。
政教分離といわれるゆえんも何かしらわかる。
両方とも心の問題だからだ。
その一見相反している政治と宗教はじつは同じである、ということの証左かもしれない。

お二人の偉人を先生と呼んで思い出したことがある。
私の祖父も経営者だった。
その祖父が先生が大嫌いだったのだ 笑
医者・教師・政治家など先生と呼ばれる方々は多い。

多くの先生が人格者である、と信じたい。
なかには先生と呼ばれ続けることで、自己への勘違いがおこり、私の祖父に嫌われるような上から目線の言動をとる人もいたのであろう。

私の祖父はそういう人が大嫌いだった。
実ほど首を垂れる稲穂かな
祖父はまさにこの格言を地でいく人間だった。

そして、私もそのような人間でありたいと思っている。

今回すこしスピリチュアルな話題になったが、誤解しないでほしいのは、私自身は何かを売りたいとか、押し付けたいという気持ちはさらさら持ち合わせていない人間である。ただ、究極の自分磨きをするとたどりつくのがそこかもしれないと伝えたかっただけである。